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特急しおじ

 投稿者:天谷高広  投稿日:2009年 8月25日(火)13時11分9秒
返信・引用
  私が舞子に住んでいた昭和48〜49年頃、小学校の検診で
アレルギー性鼻炎にひっかかり、
舞子駅のすぐ近くにあった耳鼻咽喉科に通っておりました。
学校から帰ってきて夕方に行くのですが、いつも混雑していて、
待合室から外に人が溢れておりました。
そのため結構待たされたのですが、私には一つ楽しみがありました。

それは、ちょうどその頃、下関へ向かう特急「しおじ」が舞子を通過する
時間で、ほんの少し歩いた所へ行くと、見ることができることでした。
夕暮れの舞子公園の松林をバックに走る、ボンネットの特急「しおじ」の、
それはそれは美しかったこと・・・。
当時の時刻表を見ると、しおじ3号か4号が該当するようです。
(あと、チョコレート色の普通電車がやって来るのを待っていました。
まだ103系に混じって、たまに走っていました。)

当時、「しおじ」の言葉の意味をよくわかっていなくて、単にじじくさい名前
程度に思っていましたが、意味を知ると、なんて山陽路にふさわしい愛称だったのかと、
なくなってしまったことが、今更ながら残念でなりません。
舞子から大阪湾と播磨灘を眺めて、この愛称のことを思うと、
ほんまにええ名前やったのになあ、としみじみ感じます。
いつか、山陽新幹線の各駅「こだま」が「しおじ」に改称されないものか、
と思います。

私にとって「こだま」という愛称は、やはり東海道のイメージであり、
東海道新幹線開業当時の栄光の0系が山陽新幹線からも引退する前ならまだしも、
今となっては山陽路には合わない感じだけが、するのです。
他の新幹線がそれぞれ別々の愛称をつけている現在、
どことなく東海道・山陽新幹線とひとくくりにされてしまうことが多い、
山陽新幹線の独自色を発揮することにもなるのに、と思います。
九州新幹線と繋がる時くらいがよい機会かも・・・

私の勝手な夢物語でございました。
 

いつのまにか

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月24日(月)18時06分16秒
返信・引用
  気がつくと、国鉄解体時に残っていた木造駅舎・・
山陽本線の大久保以西には沢山あったのですが、気がつくともう、ほとんど姿を消していますね。

宝殿のみが最初に近代駅舎に建て替えられ、それ以後、大久保、土山、加古川、東加古川、魚住と、すでに宝殿以東では見られなくなってしまいました。
今残っているのは曽根と御着くらいでしょうか。

これも早めに見ておかなくては・・

***********

別府鉄道の土山線、中野駅は1日に1往復くらいしか停車しなくなっていたように思います。
本当に何にも無い駅でしたね。
今、明姫幹線効果の少し北あたりになるでしょうか。
住宅地の中のはずです。

川崎車両前では廃止当時はもう客扱いはなく、貨物の入れ替え駅として機能していました。
昼下がりの列車に乗ったら、ここで客車を取り残したまま入れ替え作業をしていて・・唖然としたのを覚えています。

土山線沿線の鳥居・・今も残っています。
先だって仕事で、この場所にいったときに確認しました。
・・というか、行った場所がまさにここで、「何やら見たことのある雰囲気」と感じ・・
よくよく考えてみるとまさにあの場所でした。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

思い出します別府鉄道

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月18日(火)22時57分54秒
返信・引用 編集済
  昭和37年だったと思います。魚住駅と東加古川駅ができたころかな。
いとこが別府鉄道に乗りに来ました。その時に一緒に行った時の写真が
手元にあり、この写真見るたびに思い出します。当時Bタンクだったか
SLが客車引いていました。おまけに展望車付き。スピードが遅いので
走行中線路におりたり飛び乗ったり、おまけに線路の両側は葦の生えた
沼地が広がっており、大きな亀が線路の間で裏っかえしになってあちこ
ちに転がっていました。

写真はあまり写りは良くありませんが、大好きな写真。この鳥居今も
存在すると思いますので、近くに寄られたら写真をここに投稿して
頂けたらありがたいです。
 

別府鉄道土山線の駅

 投稿者:紀州  投稿日:2009年 8月18日(火)22時27分12秒
返信・引用 編集済
  たしか土山ー別府港間に二駅ありました。
ひとつは別府港寄りの中野駅でもうひとつは中間地点あたりの川崎車両前でした。
中野駅は明姫幹線(現在の国道250 号線)とクロスするあたりにこじんまりとした盛り土のホームがありました。長さはおそらく10メートルもなかったように思います。現在の明姫幹線の上り線の方はは当時対面通行だった上下線です。そこは陸橋になっていて旧別府鉄道をオーバークロスするような構造になっています。

一方川崎車両前は駅というにはホームや駅名表示板が無かったように記憶しています。
30年以上前のことになりますが土山発別府行きに始めて乗ったときのことです。
土山を出てこの川崎車両前に着いてから乗客(私と友人のみ)を乗せたままガチャガチャと貨物の入れ替え作業が始まりました。(おいおい何をはじめるねんな!)
しばらくしてから「ピー」とホイッスルがあり、数分遅れて別府港へ到着したのでありました。
牽引していたのは2軸のDLでDBなんとか???でした。
昭和40年代の、まだのんびりとした「いい時代」でした。
 

はやぶさ復活だそうで。

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月17日(月)23時23分9秒
返信・引用
  復活 貸切ブルートレインということで2日間限定で寝台特急が門司―長崎
で運行されます。残念ながらヘッドマーク、テールマークは付かず、おまけに
走るのは昼間。寝台特急が昼間だけ走るというのはちょっとクエスチョンです
が、これでしばらくは寝台列車も解体されずに済むかもしれません。あるいは
タイやベトナムに持っていかれるか。

写真は鳥栖駅で鹿児島からのなは?とあかつきだったかの接続シーン。この時
だれも見物している人はいなかった。乗っている人もちらほら、これは先短い
と実感した時でした。
 

記憶に残る駅

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月17日(月)01時09分8秒
返信・引用 編集済
  古い駅舎もだんだん無くなりますね。私の記憶に残る駅としては
駅と呼べないかもしれませんが、かつての別府鉄道にあった駅です。
別府港から土山の途中に大きな工場がありましたが、その近くに
この駅はありました。なんと数段の階段だけの駅。駅舎もなければ
表示板もない。しかし夕方ここには乗りこむ工場の人が並んで
待っているのです。車内はたくさんの乗客で満員。土山駅へと
目指します。この駅、臨時駅なのか昔からある正式な駅なのか
わかりませんが知っている中では一番簡素な駅です。記憶にしか
ありませんので、証拠がないです。

証拠があって記憶に残る駅はこうさんも<国鉄の思い出ブログ>
の中で書いておられたのですが北陸にあった尾小屋鉄道。この
路線の中にあった金平駅。本当に田んぼの真ん中にあって
乗客は狸か狐かというところに交換駅があったのです。この駅に
ちゃんと駅員さんがおられました。ここを訪れたのは寅さんの
映画に出てきて、寅さんがこの駅から乗るところが映っています。
それであこがれておとづれてみました。映画の雰囲気そのまま。
写真を添付しておきます。全国にこのような駅がまだあるかもし
れません。
 

少なくなったなぁ

 投稿者:京急2100  投稿日:2009年 8月16日(日)13時27分24秒
返信・引用
  25年前くらいまでは、結構あちこちに木造駅舎があったものですが、バリアフリーが意識されるようになると、昔の駅ではだめということで、利用者が多い駅ほど建て替えられています。

日産スタジアム最寄りの小机駅も、スタジアムができてからは橋上駅になってしまいました。
木造時代には、夕方に行くと、台所で駅員が作っている夕食のおかずの匂いがしたものです。
今ではコンビニで買ってくるのでしょうね。

神奈川県内では、御殿場線に味のある古い駅舎が残っています。
 

丁度見ていました。

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月16日(日)00時00分38秒
返信・引用
  すずめさんの書き込みを読んでいた時丁度放送を見ていて諏訪ノ森駅舎が映ってい
ました。南海電車に乗ったのは1度しかありません。写真でしか見たことはないので
この駅の存在を知りませんでした。浜電車というのでしょうか、阪堺電気軌道に乗っ
たことはあります。

1年間恵美須にあった会社からちょこちょこ乗った。今もあると思うけど路面電車
に近い。終点の恵美須町駅はなかなか見ごたえがあると思います。
 

木造駅舎の旅

 投稿者:すずめ  投稿日:2009年 8月15日(土)23時04分9秒
返信・引用 編集済
  二ヶ月ほど前から始まったでしょうか、九州・四国を回って今はJR西日本の駅が紹介されていると思います。
私鉄の駅も紹介されていて、大阪周辺からは南海沿線の数駅が放送されていました。

写真は浜寺公園と諏訪ノ森の駅舎の一部分です。
帰省の親子連れでしょうか、乗車する前に記念撮影をして貰っている様子でした。堺市の連続立体化工事により姿を消すそうですので、将来いい思い出になるものと思います。
移転保存も検討されているようですが、何とか保存して欲しいと思います。
 

NHK番組

 投稿者:ハラダ  投稿日:2009年 8月13日(木)11時54分12秒
返信・引用
  NHKとNHK衛星放送ではよく鉄道の放送があります。過去のアーカイブから
最近のローカル線特集など、見ごたえあります。今回九州の南部、吉都線が放送
されるようですが、まだSLが元気なころ行ったことがあります。熊本から確か
ディーゼル急行 えびのに乗って、京町温泉というところで泊まりました。

ここは盆地の中にあるのですが、ここから北の山を見るとSLが煙を吐きな
がら山腹をぐるぐる降りてくるのがよく見えました。今の線路はたぶん当時
と違うのではないかと思いますが、素晴らしい景色でした。山を撮影してい
ませんが、朝一番の下りSLを撮影した写真です。九州南部は当時SLが主体
でしたね。この後鹿児島、宮崎とSL乗りまくり、宮崎から82系のかもめ
で三宮まで帰ってきましたが、12時間以上乗ってたらお尻が痛くなりました。

写真はこの京町温泉駅から朝早く撮影したSLです。煙がきれいになびいてい
たので思わず写真を撮りました。
 

にっぽん木造駅舎の旅

 投稿者:京急2100  投稿日:2009年 8月12日(水)17時01分6秒
返信・引用
  きょうは休みなので、ふだん見ない昼のテレビ番組を見ていると、こんな番組があるのを知りました。
九州から順に北上していくようです。
今週末の15日には、特集番組が夜に放送されるそうです。

http://www.nhk.or.jp/ekisya/index.html

 

Re: 車内設備・山陽電車

 投稿者:川崎ライナー  投稿日:2009年 8月12日(水)01時57分29秒
返信・引用
  > No.3212[元記事へ]

こうさん

須磨以東の山陽4+阪急3+阪神3の普通車の高密度運転は震災以前の事ですね。
あのような本数でも当時はそれなりに需要がありましたからね。
現在、こういった本数は無理な話しですがやはり普通だけでも毎時8本は
確保してもらいたいです。その時は赤直特は月見山は通過でいいと思います。
黄直特も須磨寺と東須磨・西代は通過で… 須磨以東の各停直特はあまりに痛すぎです。

大開と高速長田についてですが大開は震災の時の崩壊で新しく作り直しましたが何故、その時に8連対応にしなかったのかが残念です。高速長田も東口建設の際に準備工事だけでも出来て入れば阪急も東須磨まで乗り入れ再開も叶うかなと思います。
 

車内設備・山陽電車

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月 9日(日)07時11分11秒
返信・引用
  223系200番台が出来たとき、カーテンは省略されていたものの、カーテンの溝とカーテンカバーは設けられていて、溝にはゴムがはめ込まれていました。
で、これを見たときの印象は、JRとしては実験的にやっているけれども、結果に自信は無いなと・・いうものでした。

関東でのカーテン省略はロングシート車両で行われていて、クロスシートの場合とは条件が異なり、さらに乗車時間の問題もあり、もうひとつ言えば東西に走る「新快速」では南側の座席は常に太陽光を受ける状態にあることから、やはりカーテン省略には無理があったのでしょう。

223系2000番代へのカーテンの取りつけは簡単な工事で良く、結果的には関西には関東流の発想では乗客に支持されないこともあるのだということを実感しました。


さて、1さんが書かれている山陽電車の須磨折り返し列車ですが、これは須磨から東須磨までノンストップで回送されます。
東須磨での折り返しを行い、またノンストップで回送。

須磨区内では出来れば阪急か阪神普通を乗り入れできないかなと思うのです。
というのは、かつてこの区間では1時間あたり、山陽特急4、山陽普通4、阪神特急3、阪急特急3というフリークエンシーを誇っていて、それから比べるとずいぶん、利便性が低下しているのが気にかかるわけです。

ちなみに山陽の西代、板宿、東須磨は、8連対応への準備工事は出来ていますから、高速線内の大開、高速長田はこの際、通過しても良いかなとも思ったりもします。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

夏の電車通勤

 投稿者:ezekiel  投稿日:2009年 8月 8日(土)10時59分20秒
返信・引用
   JR垂水駅の平日の朝の上り、7時8分の快速電車の次の快速は8時38分です。この朝の通勤時間帯の1時間半は、垂水駅にホームのある電車線には、各駅に停まる普通電車が3分から5分間隔で次々に到着して、上り側のホームの長蛇の列が到着した普通電車に吸い込まれ、そしてまた列が出来て・・・その繰り返しです。

 普段は、6時台の空いた電車に乗るのですが、毎年この時期は、出勤前に海峡沿いを自転車で走って汗を流してから出勤するので、7時台の電車に乗っています。夏休み以外は、私には耐えられない混雑度なのですが、この時期は、互いの身体が密着するほどでもないので・・・

 以前、常磐線で通勤していた頃は、普通から快速に乗り換えるのに跨線橋を上り下りしていました。この時間帯の兵庫から三ノ宮では、ホームの向かいに快速が停まるので便利ですが、到着してドアが開く寸前に、向かいの快速のドアが閉まったりと連動していません。それ以外の時間帯では、須磨駅で普通と快速の接続があるのですが・

 時間帯がズレると、乗客が大量に乗り降りする駅も移り変わります。普段の早い時間帯だと兵庫駅と三ノ宮駅で下りる人が多いのですが、1時間遅いと、兵庫駅や神戸駅では乗り込む人の方が多く、元町で下りる人が目立ちます。乗客の職種も時間と共に移ろうようです。

 木造の跨線橋が残るJR灘駅の到着する電車の写真です。もうすぐ駅が新しくなって便利で安全な駅舎に生まれ変わります。混雑する時の階段は危ないと思うこともあり、階段の上や下で、しばらく待つこともあるのですが、もう少しの辛抱です。
 

山陽須磨始発終着の普通列車の謎

 投稿者:  投稿日:2009年 8月 6日(木)23時11分39秒
返信・引用
  こんばんわ。自分は時々出没してお世話になっております。
それでわ私からの今回の書き込み内容は,この掲示板的に最もオーソドックスな【山陽電車ネタ】で書かさせて貰いますが,今回は実質【クレクレ者】になってしまいます事をどうかご容赦願います。

これは何時も疑問に思っていた事なのですが,表題の列車の方当駅での営業運転後の回送列車時には,下記の内の一体どちらの扱いになっているのでしょうかね?

【須磨駅前後の折り返し線】を使用して上下線の入れ換え作業を行う。

一旦【東須磨駅or車庫】迄往復回送運用してそこで入れ換え作業を行う。

【一体どちらだったのか?】ちょっと記憶に覚えがありませんのでこちらの方でお伺いさせて頂きますね。

以上です。今回はどうも失礼しました。
 

最近の車内設備の質は明らかに低下している

 投稿者:志摩流しライナー  投稿日:2009年 8月 5日(水)22時18分11秒
返信・引用
  窓の開け方ですか・・・。

そういえばJR東日本209系登場を境にカーテンが無い車両が増えてきていますが、炎天下でその類の車両に乗ったらクーラーが全く効かない上に直射日光を避けることができず、頭痛や吐き気をもよおすほど気分が悪くなりました。
確か223系2000番台初期車もカーテンが無かったのですが、明石〜神戸の利用客から猛烈な抗議があったらしく、現在ではカーテンが付いています。
その絡みなのか、その時期には神戸〜明石を中心に新快速が急病人発生による遅れが多発するようになりました。(ひょっとしたら熱中症なのか?)

コストダウンのやりすぎがサービスダウンに直結するのも考え物です。健康被害を誘発させる結果になりやすくなるなどもってのほか。

他にも座席間に手摺りを直接取り付けてる車両も増えてますが、手摺りが着席幅を干渉してしまい、取り付け前よりも座りにくいです。
体の大きい人や小さい人が混在して座った時にある部分ではギュウギュウ詰め、ある部分では無駄にスペースが開くといったことも多発しています。
6人がけを3+3に仕切ったと仮定した場合、片方が小さい人3人、もう片方が大きい人3人だったら、小さい側で生じた着席幅の余裕が手摺りのせいで大きい側で活かせなくなり、デッドスペースと化してしまいます。(大阪市営地下鉄御堂筋線10系リニューアルで実例有り)
京浜急行2代目1000系、阪急9000系、神鉄6000系のように座席間に40〜50ミリの隙間を空けた(座席を外方にスライドさせる)上で肘掛状の仕切り板を付けるやり方だと肩の部分を肘掛に逃がせるメリットがあるのですが、そういった車両が少数派なのが残念でなりません。

長文失礼しました。

http://secretzone.xxxxxxxx.jp/sumauraken/

 

九州の鉄道と窓の明け方

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月 5日(水)00時40分39秒
返信・引用
  ハラダさん>

ブルトレのラストラン・・
なんだか悲しかったですね。

九州の鉄道も僕が知っている20年前とは激しく変化してしまっているようです。

その中にあって西鉄の600系電車・・
貝塚線は軌間が異なるので、台車は東急あたりのお古だと思うのですが、それでも見た目は西鉄600系・・
この電車が健在なのはうれしいです。

京急2100さん>

しかし、JR系はどこも、トラブルが多いですね。
それも単純なものが多い気がします。

昨今の電車は窓を明けることを前提に設計されていないものが多いですね。
JR西日本の場合、普通の下降窓は多いですから、見た目ですぐに分かり、こういうトラブルにもならない気もします。

阪急はパワーウィンドウが多くなり、窓を明ける心理的な負担も少なく、窓が開いていることが多いようです。
ただし、最新の9000系、9300系ではドア間の窓は全く開きませんが・・

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

オリンパス米谷さん

 投稿者:こう  投稿日:2009年 8月 5日(水)00時31分50秒
返信・引用
  すずめさん>

オリンパスと言う会社はすごく変った会社で、カメラを作る際に見た目のデザインを優先させると言う・・
それも非常に美しいデザインで、惚れ惚れするようなカメラが多かったですね。
ことデザインではニコンはオリンパスにはずいぶん遅れを取っていたようにも思います。

米谷さんが関わってこられたオリンパスペンシリーズ、OMシリーズ、それからXA・・どれも非常に美しいデザインです。

僕は今でも、XAを持ち続けています。
このカメラ、僕が北海道を放浪したときにFEのサブカメラとして連れて行きました。
なんとファインダー内部に露出計の目盛りがあったんですよ。

オリンパスのこだわりですね。

実は、僕が始めて本格的に写真を撮るようになった最初のカメラがオリンパス35EDでした。
これも、レンズは良く、なかなか使い勝手の良いカメラで、「国鉄の思い出」に出てくる写真にはこのカメラで撮影したものも含まれています。

新型、デジタルになったオリンパスペン・・
非常に美しいカメラですが、これが出た後に米谷さんが逝かれたのは偶然ではないような気がします。
ご冥福を祈ります。

http://kokutetu.blog.eonet.jp/117/

 

窓の開け方がわからない?

 投稿者:京急2100  投稿日:2009年 8月 3日(月)07時12分10秒
返信・引用
  先週の京葉線事故。
トラブルで立ち往生した列車の車内の様子がリポートされています。
確かに最近電車の窓を開ける機会は減りましたが、まさかここまで来ているとは…。

窓ガラスに「開↓」というシールが張ってるのを見かけますが、こういうときのためなのか、と気がつきました。

http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/58298166.html

 

PENーFT

 投稿者:モハ830  投稿日:2009年 8月 2日(日)09時45分32秒
返信・引用
  この一眼レフは良かったです。鉄道写真のスライドは殆どこれで写しました。
開通直後のマウイ島砂糖きび列車やオアフ鉄道の名残りとか、-------。
処分した時も買値とあまり変らぬ値段で引き取ってもらえました。
 

以上は、新着順61番目から80番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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